誰かに勝とうとか負けてると思う時点でダメなのだ。
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我が日本国が本来の力を取り戻すためには金融で世界を制す必要がある。
金融が倫理的に良いものだとか悪いものだとかそんなことはどうでもよく、実際に世界を制しているのは資源と金融なのだ。
差したる資源の無い日本が世界を再び牛耳るためには金融しかないのだ。
この国は精神の根底に国を守るという意識が欠落してしまっている。その一段浅いところの家族を守る、もしくはそのさらに一段浅い自分を守るというところが、底になってしまっている。
なぜ、国を守るという意識が欠落してしまったかというと戦争に負け、戦後のシステムを国をベースにするものから家計や個人をベースにするものに変えられてしまったからだ。
国があって初めて家計や個があるという他の国では自明の理念がこの国には無くなってしまった。
戦前の世代の方々がまだ何らかの形で社会や家庭に影響を与えていた時代は、大っぴらには公言しないものの、生きることの根底に国を置く思想が残っていた。しかし、当たり前のことだが、戦前の生まれの方々は減っていき、平均寿命を考慮すると2010年以降は大きく減少している、このあたりから、この国には、自分さえ良ければ良いという思想が、これまでの悪いもの、恥ずべきものとしてではなく、寧ろ、当たり前のこと、良いこととして捉える社会になってしまったのだ。
新しい知識、アイデア、考え方が欲しければ時代を乗り越えて受け継がれてきた名著を読むべきである。
今、あたかも、新しいものとして受け止められている考え方はそのほとんどが既に名著に書かれている。
相場ほど魅力的なものはない。心、技、体、全てが揃っていないとなかなか勝てない。中でも大切なものは、心=精神力である。シンプルに自分の方法を信じて戦うしかない。周りは気にせず、自分の信じた道を行くしかない。誰がなんと言おうと、それしかないのだ。
自分を知らない者は、自分が望むものを理解していない、また同時に自分が望まないものも理解していない。が故に、自分を知っている者の望む様に振る舞わされてしまう。
感情は理性を上回ることを知らなくてはならない。ただ、常に理性的に振舞っているように見える人がいる。彼らは、最初から感情的にならないタイプなのもあるが、理性的であるように日々鍛錬をしているのである。理性的であるためには、理性が感情を抑えるには鍛錬が必要だということを知る必要があるし、仮に、感情的になったとしてもそれは仕方がないことだと割り切り、まだ、まだ自分は鍛錬は足りないんだと考えるようにする必要がある。
死は誰にでも公平に訪れるものであり、人生の勝負を決するのは、死ぬ時に自分の人生は良い人生だったと思えるかどうかだという御仁がいるが、全くのデタラメだ。死は突然訪れるからそんなこと考えている暇などない。だから、日々、幸せだと感じることが重要であり、できるうる限り不快な思いをしない生き方を選択しなければならない。
「人は中身ではなく外見で判断してしまう。見る目は持っていても、観る才を持っていない。」とはマキャベリの言葉だが、今般のボディメイクブームは健康への配慮もさることながら、この人間の習性によるものが大きいのだろう。逆に言えば、観る才を持てる人間が絶滅危惧種なのだろう。絶滅を止める一助となりたいものだ。