受験の勝利と運

高校サッカーは予選のベスト4で敗れた

やりつくした感があり、それほど悲しみはなかった

それから主将をしていたこともありチーム運営に嫌気がさしていた

個人戦なら必ず勝てるのにと常に思っていた

チームの中には、サボる奴、文句ばかり言う奴、陰口を言う奴、面従腹背の奴、などなど面倒臭いなと感じることが多かった

勿論、当時の私が未熟でありチームを一つに纏めることができなかったとも言える

だから、受験勉強は個人戦だと言う思いと勉強には自信があったからすぐに勉強に切り替えられた

高校サッカーの予選は高校3年生の11月まで続き、あまりに勉強していなかったこともあり初めて受けた全国模試で偏差値40だった

しかし、まあ、そんなもんだろうと思った

親に頭を下げ一浪させてもらった

1年間毎日15時間勉強した

大手予備校で秋口にその年最も偏差値が上がったと言うことで表彰された

受験前に偏差値は75を超えていた

早慶と明治、立教を受験した

明治と立教は全学部合格した

早慶は受かったり落ちたりだった

早稲田が好きだったので早稲田を選んだ

早慶に受かった理由は最後は運だと思う

正直、早慶は運もあるが、それ以外の私立は1年あれば絶対に合格できる

また、早慶に受かるには運が必要だが、少なくとも運で勝敗が決まるところまでは自分で持ってこなくてはならない

私が家庭教師で受け持った生徒で私の言う通り勉強した生徒は早慶以外の私立であれば必ず合格した

早慶は、受かると思ってた生徒が落ちたり、え?お前受かったのって言う生徒が毎年いた

頂きでは運が勝敗を大きく左右する

しかし、その一方で運が左右されるところまでの地力、頂まで登る力をつけなくてはならない

頂きで太陽が見えるかどうかは運だが、頂きに登れなければその資格はない

勝負師の火種

サッカーは才能があった

中学になった時、地元の発足当初のJリーグのジュニアユースから誘われた

他府県のチームからも誘われた

しかし、中学でも入学当初からレギュラーで活躍していたので中学の部活でサッカーを続けることを選んだ

また、高校進学の際も複数の私立の強豪やユースチームから誘われた

当時高校選手権の予選でベスト8の常連の進学校が地元にあり、その学校を初の高校選手権に出場させようと夢を膨らませた

同時に、ユースチームや強豪校ではレギュラーが確約されず熾烈な競争があることを恐れた

進学した高校では入学前の春休みから試合に出ていた

今思うと怪我したらどうなっていたのだろうと思うが、兎に角、期待の大型新人として別格の扱いを受けていた

半年ほど経って国体の選抜チームのセレクションに呼ばれた

中学時代全く相手にしていなかった私学の強豪やユースチームに行った連中が見違えるほど上手くなっていた

彼らは物凄くハングリーだった

私は最終選考の30名に残った

そして最後の20名を選ぶ時に私の名前は呼ばれなかった

3年間連続で最終選考で落とされた

残った20名にはユニホームが渡され、それを横目に私はスパイクを脱ぎ、帰り支度をし、喜びを分かちあう20名の声を背中で感じながら会場を後にする

私には勝つために必要なものが多く足りなかった

自分なりに努力はした

しかし、自分が一番上手い環境では成長に限界があった

特別扱いの中で「井蛙は以って海を語るべからずは虚に拘ればなり」であった

大きな挫折感を味わった

そして、もう二度とこんな惨めな思いはしないと心に固く誓った

自分の名前が呼ばれなかったあの光景は今も忘れられない

勝負師としての火種が灯った瞬間だった

勝利の報酬

サッカーが好きで、上手かった

キャプテン翼が大好きでサッカーにのめり込んだ

小学校から毎日友達とボールを追いかけた

5年生から私の小学校では、希望者は小学校のサッカーチームの練習に参加することになる

私の小学校は全国大会にも出る強豪である

私が上手いのは学校中で知られており、5年生になってすぐにセンターフォワードに抜擢された

そして、最初の試合にスタメン出場 相手は地元の因縁のライバル校で試合会場は相手校だった

0対0が続く後半残り5分に私はドリブルで相手DFを右に交わし体制が崩れそうになる中、右足を振り抜いた

ボールはゴール左隅に決まり、私は勢い余って後転し起き上がりざまに、両手を掲げた

自軍のベンチを見るといきなりレギュラーになった私を好ましく思わない先輩達が立ち上がって喜んでいるのが目に入った

勝利をもたらせば人が喜んでくれることを知った

感動を与えることも知った

そして、問題も解決できることを知った

人生最初の勝負所

私の記憶にある人生最初の勝負所は幼稚園の年長の時の徒競走だ

年中までの私は比較的足が遅く徒競走でも目立った力を発揮することができなかった

私は母がたの祖父に、溺愛されていた

母が姉妹であり孫で初めてでその後も唯一の男の子ということが理由であったと思う

祖父は私のために幼稚園までの送り迎えをほぼ毎日してくれた

登下校の道中に約50メートルくらいの急な斜面の坂があり、毎日その坂を祖父に手を引かれて歩んだ

母によると私が小児喘息であったのでその坂を上り下りすることで健康になって欲しいとのことからわざわざ私立の幼稚園に入れたとのことであったが、元来調子の良いことを言う母なので定かではない

年長の運動会で私は当時園内で最速の友達と同じ組になった

私は勝てないと思っていたが、兎に角、一心不乱に走った

気づいたら一位でゴールの紙テープを切っていた

大波乱に両親、祖父母は勿論のこと観客から友達、先生まで大拍手に包まれた

勝つことの素晴らしさと大切さを初めて実感した

勝つと皆んなが喜んでくれることも知った

そして、勝つためには継続した努力が必要であることを学んだ